ありのままにお疲れ様です〜!
ありのママブログにお越しいただきありがとうございます😊
※この記事はありのママの体験をもとに書いています。医療的判断は、主治医にご相談ください🙇♀️
今までの経緯
2023年7月 大好きな母を卵巣がんで亡くす
2023年10月 遺伝子検査をして、HBOC(BRCA1)
と判明
2024年9月 ・リスク低減乳房切除術
・お腹の自家組織による乳房再建手術
・リスク低減卵巣卵管切除術
2024年9月 胸の傷の修正手術
2024年9月〜 更年期に寄り添う暮らし
私は2024年9月にがん未発症で、
・リスク低減乳房切除術(乳房再建も同時)
・リスク低減卵巣卵管切除術
を受けました。
私がHBOCと分かり、リスク低減手術までに至ったのも、このブログを通してHBOCについての経験談を書いているのも、母という存在がなかったら、なかったのかな?なんて最近思っています。
母を亡くしたのが、2023年。今から3年前になります。
亡くなった当初は、私は毎日のように泣きじゃくっており、
母がこの世にいない世界が考えられなくて、
もうどうしたらいいのか分からなくなり、その日その日を過ごすのが精一杯でした。
寂しい。
悲しい。
寂しい。
母がいないのに、普通の毎日が普通に訪れる。普通に起きて、子供達を送り出し、仕事にいく。
仕事に行くと、普通に仕事をする。そして帰ってきて、家事・育児をして夜寝る。
心が置いてけぼりで、母がこの世にいないのに普通の日常が流れていく…
普通の日常が流れていくことに、なんだか怒りさえも覚えていました。
でも、不思議なことに3年も経つと、母いがいないことになれ、それがあたり前になっていく‥
そして、あんなに大好きだった母の記憶も薄れていく……
今日は大好きだった母のことを思い出して書いていこうと思います。
私のお母さん
私の母は、私を含め3人の子供を生み(姉・姉・私)、小学校の教員の仕事をしていました。
父とも仲良く、仕事に熱心で、とても明るく、前向きで笑顔が素敵な人でした。
母は、出産を機に教員の仕事を辞めてからもう一度教員になりたいといい、子育てしながら勉強して、また教員に戻ったのは子供ながらに努力家だなと思っていました。
母の子育ては、THE適当だったけど、子供3人に向き合って、たっぷり愛情をそそいでくれました。
またお友達も多くて、みんなから好かれていた自慢の母でした。
「お母さんとの思い出は?」と聞かれたら、母と私の子供たちと一緒にUNOやトランプで遊んでいて大笑いしたこと。
UNOでは、母が最後手札が1枚になり、
「やったー!!あがり!!」
といって大喜びで出したカードが、色も数字も何もかも違うという・・・笑
UNOのルールよ😂笑
そんな適当なお母さん!みんなで大笑い😂😂
母の卵巣がんが見つかる
そんな母は、2019の年末(母は61歳)ぐらいから体調を崩しており、色々な病院へ受診していましたが、原因がわかりませんでした。
2020年にはいり、検査をしてやっと卵巣がんが見つかりました。そしてステージは見つかった時点で3Cでした。
私の祖母は今も健在で、祖父は90歳で亡くなりましたので、母も長生きして、孫に囲まれてにぎやかな生活をし、明るいおばあちゃんになるのだろうと勝手に思っていました。
それなのに、、、、まだ61歳でがん????
意味が分かりませんでした。
がんと宣告されて、1番辛いのは母なのに、私もとてもとてもショックでした。
なんでうちの母なのだろうか・・・・
これからもっともっといろんなところへ旅行へ行って、
お盆や正月はみんなで集まって、孫に囲まれて、
楽しい思い出を沢山、沢山作る予定なのに・・・
がんが憎くてたまりませんでした。
当時の母もがんと分かり、ショックを受けていました。
でも、もち前の明るさで、がんを受け入れてすぐに前を向いていたのを思い出します。

ありのままに続きます。


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